沖縄面白本棚

日々の活字チュウ毒生活の本から これは面白い本!を紹介します。 このブログで紹介するジャンルは、ノンフィクションを中心にあまり有名ではないが、読むと面白い本です。もちろん沖縄本も紹介しますね。

ゴーストラーターという存在が必要であることが、
本書では分かる。

矢沢永吉の名作「成り上がり」はコピーライターの
糸井重里がゴーストライターで書いた本。
糸井重里は最初で最後のゴーストライターだったという。

何故、書いたのか、
それは、糸井が矢沢のファンであり、生き方に共感できたから。

そういう関係で書いている本には魂が宿る。
だから、読んでいる人も本当に本人が書いているように読むし、
糸井が書いていたと知っていて読んでいるからいいのだ。
これからも、ゴーストライターからは目が離せない。


内容(「BOOK」データベースより)
出版界において、その存在なしには本づくりが成立しないともいわれる「ゴーストライター」。その実態はいかなるものなのか。佐村河内事件をスクープする一方で、多くの「ゴーストライティング」を手掛けてきた大宅賞作家が知られざる職人技の世界を描く。





 

今日、6月23日は慰霊の日である。

沖縄戦は1945年3月末、米軍が沖縄本島の西にある慶良間諸島に上陸して始まった。
米軍は4月1日に沖縄本島読谷村から上陸した。
米軍の主力部隊は首里の日本軍主陣地を目指して総攻撃を開始した。
そして日本軍の組織的な戦闘は6月23日に終わったとされるが、降伏を拒む軍人らによる局地的な戦闘は続いた。犠牲者は軍人と住民を合わせて約20万人。沖縄県は戦後、6月23日を全戦没者の霊を慰める日に定めた。

本書は、慰霊の日に是非読んでほしい。
なぜなら著者の沖縄に対する熱い思いが込められた文章と終戦当時の生の沖縄の写真が
つまった名著だからである。

第1章「沖縄に生まれて」では、著者の幼少の頃の思い出、作家だった父の思い出、
自らの空襲体験。

第2章「沖縄戦の記憶」では、今生き残っている戦争体験者からの貴重な話を知ることができる。
この話は、地元のオジー、オバーの二度と起こって欲しくない戦争への心からの言葉と感じた。

以後、3章から7章まで、報道カメラマンである著者の貴重な写真と文章で
沖縄と戦争、沖縄と基地問題の70年を考えさせられる本である。






 

著者は早稲田大学法学部卒で農学博士、そして哺乳動物生態学専攻の方で、
これまで、イリオモテヤマネコの行動や糞を採取して研究本を数冊書いてきた。

今回、初めてのエッセイであるが、本書を書くキッカケは西表島にヤマネコの研究と
石垣島の中学校教員生活を含めて、通算6年間生活してきた中で、
出会った、西表島の個性的な人々が自然の中で賢明に生きていく姿を
他の人たちにも知ってほしいというのが本書を書くキッカケになった。

さて、本書の構成は4章になっていて、一番面白いところは、
有名なイリオモテヤマネコより大きなネコ、オオヤマネコがいるのかということを
解明するために島人に聞き取りをおこなっている。
その結果は本書を読んで確認して欲しい。

第1章「岩とび少年」では、初めて西表島を訪れたときの旅行記。

昭和40年3月にイリオモテヤマネコが発見された。
安間氏は大学生で夏休みを利用して西表島に有名になる前にヤマネコを見てみたいと
思い、旅立つ決意をした。

しかし、当時の沖縄は遠かった。
まだ本土復帰前であるので、沖縄に行くにはパスポートが必要であった。
通常のパスポートは2週間位で発行されたが、沖縄では1か月以上かかり
さらに予防接種も受けなければいけなかった。

当時からマングローブ林は日本一広かった。

第2章「カマン捕りカミジュー」では、カマンとはイノシシのことで、
そのイノシシ捕り名人である古波蔵当清氏の一生を描いている。

当時の西表島でのイノシシ狩りの方法は台湾式ハネ罠のやり方が主流であった。

その罠は釣竿状の枝の先にワイヤーをつけて、ワイヤーの先を輪っかにして、
イノシシの通り道に枝にワイヤーを掛けて、枝を踏んだら跳ね上げて吊るして捕るやり方。
かなり原子的であるが、名人はよく捕れた。

その当時の西表島ではイノシシは貴重な収入源。
町役場では奨励金が出ていた。その肉は石垣島とか本土に高く売れた時代である。

その頃の西表島の猟師は20名。
2000箇所罠で年間600~700頭捕獲され、そのうち半分が名人カミジューが捕った。

猟師たちに嫌われたのがイリモトヤマネコであった。
ヤマネコが罠にかかるとイノシシが捕れなくなるからであった。

第3章「島で暮らす」では、6年間暮らして島で出会った面白い人々たちとのエピソードが満載。
島を歩くと色んな落し物に出会った。
それは、本土からの旅人が山を歩く時に荷物が重くなり、捨てて行ったお土産である。
例えば、ウエットスーツとか、靴とか、高価な物ではカメラも置いていった。

第4章「幻のオオヤマネコを求めて」では、
この本のテーマではあるが、島の人たちに聞き取りを行った。
結果は本書を読んでのお楽しみである。

本書は西表島に一度は旅行に行ってみたい人とか、
自然が好きな人には興味が尽きない内容になってお奨めの本である。



西表島自然誌(安間繁樹)

 

本日は、良い天気に恵まれて、最高の一箱古本市になった。

古本仲間も5組ほど出店していたので、ゆっくり、ゆんたく(おしゃべり)して
下記7冊ゲットしたサー。
さて、はたして、全部読めるのだろうか?
まあ自信が無いけど古本買うのは楽しいねえ。

①京都魔界巡礼(丘 眞奈美)
②壇(沢木耕太郎)
③活字狂想曲(倉阪鬼一郎)
④現代職人伝(大谷晃一)
⑤わたしの舞台は舞台裏(木丸みさき)
⑥沖縄の島を自転車でとことん走ってみたサー(カベルナリア吉田)
⑦沖縄の島へ全部行ってみたサー(カベルナリア吉田)

本書は、アホウドリに一攫千金の夢を見た日本人の物語である。

国家が栄える背景には、自然を破壊する行為、略奪する行為があるという事を
世界の歴史を見るとよくわかる。

世界に目を向けると、イギリスでこういう行為が行われていた。
16世紀から17世紀にかけて、イギリスでは海賊行為という手法で豊かさを追求し、
200年以上にわたる歳月をかけて大英帝国を築いた。
たしかに大英帝国は産業革命によって確立されたが、その元手となる資金の一部は
紛れもなく海賊がもたらした略奪品、つまり「海賊マネー」である。

一方、日本はどうだろうか。
16世紀の同時代は戦国時代である。
本能寺の変で織田信長が倒れ、豊臣秀吉が天下統一を果たした時期である。

本書はさらに3世紀も過ぎた、明治の時代の話であるが、イギリスの海賊と共通する点がある。
それは、無人島という島でアホウドリという何も抵抗もできない鳥類を一攫千金を夢見て
山師的な人々が自分の欲望の赴くままに奪っていく行為が、まさしく明治の時代の海賊である。
その点を始めにお伝えして、本書の面白いところを紹介しよう。

本書の主人公である、玉置半右衛門はwikipediaによると、八丈島出身で、19歳のころ、
横浜で大工として働き、その時に羽毛布団と出会い、アホウドリが布団に使われていることを知る。
その当時から開拓者としての素質があった。

現在は、アホウドリは絶滅危惧種に指定されているが、明治以前は、驚くべきことに、
小笠原諸島、鳥島、尖閣諸島、大東島諸島に数千万羽が生息していたという。
アホウドリの羽毛は横浜商人に売られ、肉は自給用として食用になり、糞は良質の肥料になるという
無駄なところがない鳥類であったし、捕獲が用意なため、誰でも簡単に採取できる。
そこの目を付けたのが、玉置半右衛門である。

さて、実際の数字を挙げると、
撲滅したアホウドリの数は明治20年の鳥島上陸から半年間で、10万羽。
明治35年の鳥島大噴火で全滅するまでに捕獲した数は600万羽。
すごい数である。現在のお金に換算すると、年収10億円になる。
アホウドリ豪邸が建つほど、財を残した。

その細かい手法は本書を読んでほしいが、
その財産を活かして、玉置はさらに、小笠原諸島近海の無人島にも進出したが、
他の山師も集まってくる。

しかし、当時日本では海図を作る技術はなく、ヨーロッパ製の疑わしい地図が出回っていた。
なぜ、疑わしいかというと、当時の小笠原諸島周辺は、無人島が多数あり、
ヨーロッパ、及び米国も進出している状況で、海図にとりあえず、確認していないが、
島があることにして書いてしまえという風潮があり、存在しない島「疑存島」が多数あった。
その島が万が一あったら、自分の国が確認していたと主張できるからである。

その疑存島に振り回されて、多くの山師的日本人が無駄な航海を繰り返した。

玉置はさらに南に目を向けた。
それが、南大東島である。
しかし、そこは更に過酷な環境の島で、断崖絶壁の島で、簡単に上陸ができないのである。
それでも諦めずに登っていき、上陸する。

念願かなってアホウドリを捕獲しようと思ったら、思ったより数が少なく、
大きな財が見込めないが、その島にはサトウキビ栽培という農業開拓が可能であった。
玉置はこの島に八丈島からの移住者を迎え、砂糖生産の島に変貌させたのである。
これによって、玉置は「南洋開拓の先駆者」として地位を不動のものとしたである。

本書はさらに興味深い話が満載の面白本である。


アホウドリを追った日本人(平岡昭利)




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