この本は1972年5月15日に沖縄が本土復帰をした後から、現在までを地元沖縄の出版社の
編集者である著者が自らの体験談を交えながら、たまに方言も入る、沖縄復帰体験面白本である。
さて、内容に入る前に、ワン(私)の実体験も書いてみようかねぇ。(少しうちなーぐち)
ワンがナイチ(東京)に来たのが、19歳の時だった。
復帰前にナイチに来た人の話だと、パスポートが必要だったみたいだ。
まるで、海外旅行やっさ。
初めて降り立った羽田空港の広大なスケールにまず、でーじビックリしたさぁ。
さらに、初めてのモノレールに乗った時の変な気分。まるで、遊園地で乗るオモチャみたいな箱が動くことに
あっちみたり、こっちみたりで、恥ずかしけど、興味津々だった。
最初入った会社の寮が練馬にあった。そこで、またビックリしたのは、東京にも、畑がある。
ダイコンがある。(笑)
夏休みとかに沖縄に里帰りするときに、会社の先輩方からいつも、お酒とタバコのお土産を注文された?
そう、その時は、沖縄だけ、免税店が空港にあって、先輩からお金を渡されて、
いつも、帰りは手荷物いっぱいにお酒とタバコを規定数ギリギリまで持って行ったことが、
つい昨日のように思い出される。
あれ?こんな、話をするために、この本を紹介したわけではないが、まあ、おまけということで。。。
では、本を紹介。
この本の面白いところは、復帰した沖縄の雰囲気が味わえて、
さらに、地元の人が書いた、生の情報を知ることで、一回は沖縄に行ってみたい気分にさせる本である。
全体を10年ごとの4つに分けて、それぞれの年代におこったことを面白く、マジメに書いている。
①1970年代。
ドルから円への通貨交換、「ダイナハ」オープン、「海洋博」閉幕、ナナサンマル「7・30」
その中から、ナナサンマルを紹介しましょう。
この言葉は地元では有名ですが、簡単に言うと、車の走行車線がアメリカと同じ右だったものが、
左に変更した、記念すべき日が、7月30日。
前日の29日の夜10時に一般車両を通行止めにして、翌日の30日の朝6時に一斉に右から左通行に変更した。わずか8時間のプロジェクトX的な出来事。
個人的な記憶にあるのは、バスを乗るのに、反対のバス停で待っていたり、バスの運転手もまだ慣れていない時期は、狭い道でうまく操作できずに、バスがひっくり帰ったりしていたのがあった。
②1980年代。
具志堅用高敗れる、断水326日、七か月のバススト争議、西銘順治「沖縄の心」発言、日の丸・君が代問題、
「海邦国体」開催、「慰霊の日」休日。
その中から、百年に一度のヒーローと言われた、具志堅用高について書く。
今の若い人たちは、具志堅はお笑いの具志堅であって、チャンピオンのころの事は知らないだろう。
当時、沖縄では、具志堅の試合を観ないとみんなの会話に参加できないほど、すごい注目だった。
試合時間には、タクシーどころか、人が外を歩いていない、歩いているのは、マヤー(猫)だけだった。ウソです。
試合はカンムリワシのごとく凄い睨みで相手を倒して、皆は興奮した。
しかし、その後の勝利インタビューが皆楽しみであり、逆に、ウチナ~むに~(沖縄言葉)が恥ずかしい。
具志堅さんの実家の職業は?という質問に、
「お父さんは、海を歩いています。」
家の家紋は?と聞かれて、
「コンクリート(ブロック塀)です。」(笑)。あ~恥ずかしい。
③1990年代。
大田昌秀革新県政誕生、喜納昌吉紅白出場、首里城公園開園、10・21県民総決起大会、
安室奈美恵、大ブレーク、ミハマ・セブンプレックス開館、映画「ナビィーの恋」大ヒット。
その中から、映画ナビィーの恋の話。
地元では、おばぁたちに絶賛だった。
主人公、ナビイーの昔の恋人に対する恋話と、三線の音色にのって進められる沖縄芝居が
地元のおばぁたちに受けた。
④2000年代以降。
沖縄サミット開催、ドラマちゅらさんブーム、美ら海水族館オープン、ゆいレール発進、沖国大に米軍ヘリ墜落、
教科書検定撤回9・29県民大会、興南高校野球部春夏連覇、オスプレイ配備。
その中でドラマちゅらさんの話。
最終回の時、おばあ役(平良とみ)の最後の言葉が印象的。
「ちゅらさんや、恵理たちや沖縄のことを忘れないでくださいよ、みんなもチバリヨー」。
本の中では、まだまだ、沖縄の良さを紹介しています。
是非、興味ある方は読んでみてくださいね。
http://www.borderink.com/?p=11552
編集者である著者が自らの体験談を交えながら、たまに方言も入る、沖縄復帰体験面白本である。
さて、内容に入る前に、ワン(私)の実体験も書いてみようかねぇ。(少しうちなーぐち)
ワンがナイチ(東京)に来たのが、19歳の時だった。
復帰前にナイチに来た人の話だと、パスポートが必要だったみたいだ。
まるで、海外旅行やっさ。
初めて降り立った羽田空港の広大なスケールにまず、でーじビックリしたさぁ。
さらに、初めてのモノレールに乗った時の変な気分。まるで、遊園地で乗るオモチャみたいな箱が動くことに
あっちみたり、こっちみたりで、恥ずかしけど、興味津々だった。
最初入った会社の寮が練馬にあった。そこで、またビックリしたのは、東京にも、畑がある。
ダイコンがある。(笑)
夏休みとかに沖縄に里帰りするときに、会社の先輩方からいつも、お酒とタバコのお土産を注文された?
そう、その時は、沖縄だけ、免税店が空港にあって、先輩からお金を渡されて、
いつも、帰りは手荷物いっぱいにお酒とタバコを規定数ギリギリまで持って行ったことが、
つい昨日のように思い出される。
あれ?こんな、話をするために、この本を紹介したわけではないが、まあ、おまけということで。。。
では、本を紹介。
この本の面白いところは、復帰した沖縄の雰囲気が味わえて、
さらに、地元の人が書いた、生の情報を知ることで、一回は沖縄に行ってみたい気分にさせる本である。
全体を10年ごとの4つに分けて、それぞれの年代におこったことを面白く、マジメに書いている。
①1970年代。
ドルから円への通貨交換、「ダイナハ」オープン、「海洋博」閉幕、ナナサンマル「7・30」
その中から、ナナサンマルを紹介しましょう。
この言葉は地元では有名ですが、簡単に言うと、車の走行車線がアメリカと同じ右だったものが、
左に変更した、記念すべき日が、7月30日。
前日の29日の夜10時に一般車両を通行止めにして、翌日の30日の朝6時に一斉に右から左通行に変更した。わずか8時間のプロジェクトX的な出来事。
個人的な記憶にあるのは、バスを乗るのに、反対のバス停で待っていたり、バスの運転手もまだ慣れていない時期は、狭い道でうまく操作できずに、バスがひっくり帰ったりしていたのがあった。
②1980年代。
具志堅用高敗れる、断水326日、七か月のバススト争議、西銘順治「沖縄の心」発言、日の丸・君が代問題、
「海邦国体」開催、「慰霊の日」休日。
その中から、百年に一度のヒーローと言われた、具志堅用高について書く。
今の若い人たちは、具志堅はお笑いの具志堅であって、チャンピオンのころの事は知らないだろう。
当時、沖縄では、具志堅の試合を観ないとみんなの会話に参加できないほど、すごい注目だった。
試合時間には、タクシーどころか、人が外を歩いていない、歩いているのは、マヤー(猫)だけだった。ウソです。
試合はカンムリワシのごとく凄い睨みで相手を倒して、皆は興奮した。
しかし、その後の勝利インタビューが皆楽しみであり、逆に、ウチナ~むに~(沖縄言葉)が恥ずかしい。
具志堅さんの実家の職業は?という質問に、
「お父さんは、海を歩いています。」
家の家紋は?と聞かれて、
「コンクリート(ブロック塀)です。」(笑)。あ~恥ずかしい。
③1990年代。
大田昌秀革新県政誕生、喜納昌吉紅白出場、首里城公園開園、10・21県民総決起大会、
安室奈美恵、大ブレーク、ミハマ・セブンプレックス開館、映画「ナビィーの恋」大ヒット。
その中から、映画ナビィーの恋の話。
地元では、おばぁたちに絶賛だった。
主人公、ナビイーの昔の恋人に対する恋話と、三線の音色にのって進められる沖縄芝居が
地元のおばぁたちに受けた。
④2000年代以降。
沖縄サミット開催、ドラマちゅらさんブーム、美ら海水族館オープン、ゆいレール発進、沖国大に米軍ヘリ墜落、
教科書検定撤回9・29県民大会、興南高校野球部春夏連覇、オスプレイ配備。
その中でドラマちゅらさんの話。
最終回の時、おばあ役(平良とみ)の最後の言葉が印象的。
「ちゅらさんや、恵理たちや沖縄のことを忘れないでくださいよ、みんなもチバリヨー」。
本の中では、まだまだ、沖縄の良さを紹介しています。
是非、興味ある方は読んでみてくださいね。
http://www.borderink.com/?p=11552