沖縄面白本棚

日々の活字チュウ毒生活の本から これは面白い本!を紹介します。 このブログで紹介するジャンルは、ノンフィクションを中心にあまり有名ではないが、読むと面白い本です。もちろん沖縄本も紹介しますね。

2015年04月

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沖縄では、新聞を購読する理由に「死亡広告欄」をあげる人が多い。
何故だろうか?
それは、狭い沖縄社会では、人との付き合いが大切で親戚や知人の死亡は朝の新聞で知ることが
極めて重要な生活に一部になっているからだ。

沖縄県のどれ位の人が死亡広告を出しているかというと、
全死亡者の52.8%が新聞紙上に掲載されている。
新聞社は2社あるのだが、死亡広告を取るのに競争しているが、あまり派手には営業を
かけられない事柄なので、自分が今読んでいる新聞に出す場合が多い。
その日の死亡人数にもよるが、死亡広告は新聞の2面から多くて3面位のスペースになる。

では、新聞にはどういった内容を書いてあるかというと、
これがビックリの個人情報満載なのである。
故人の名前から始まって、住所、喪主名、息子、娘、その嫁、婿、孫、曾孫、兄弟姉妹、義理の兄弟姉妹、
いったいどこまで書くのか、キリが無いし、当然文字数が多いとお金もかかるのである。

不謹慎かもしれないが面白い話がある。
死亡広告に実在の人の名前を書く失敗話がある。
昔はパソコンもなく、今より多くの人が新聞に広告をだしていたので、新聞記者も忙しい。
そこで、緊急に電話で故人の名前を確認したところ、沖縄の人は発音が悪い上に、名前が同音の氏名が多いとくる。
発音の悪い人に「発音」と発声させたら、「ハチュオン」とかえってくる。

その事件以降、最終確認は必ず、現地に直接メモ、今はパソコンを持っていき、その場で記事を書いて内容を渡して、
喪主に間違いが無いか確認をするようにしている。
これなら間違いがない。

その他の話題としては、沖縄の結婚披露宴の話。
招待人数は、200名、300名はざらにあるが、700名の人数で那覇市市民ホールの
貸しホールで会議用テーブルを並べて対応したとか。
その当時、1970年代では人数が多ければ多いほど、準備する料理には限りがあるため、
結婚式は黒字になり、二人は幸せなスタートを切れる仕組みになっているという。

沖縄の方言で、「結婚」の事を「根引、ニービチ」という。
なぜ、幸せな儀式なのに、根を引くのか不思議に思ってしまう。
諸説あるらしいが、昔、結婚のとき、花嫁は「いやだ、いやだ、嫁に行くのは絶対嫌だ」と
樹木の根っこにすがりつく。それを強引に引くものだから、根引となった、らしい。

最後に、タモリも驚愕したオバアたちの名前の話。
昔の沖縄の名前は男は漢字で書いて、女はカナで書いていた。
例えば、夫婦で同名だと、城間牛(夫)、城間ウシ(嫁)になる。

そこで、沖縄オバアの名前ベスト10。
1位カメ、2位ツル、3位ウシ、4位カマド、5位マツ、6位カマ、7位カナ、8位ウト、9位マカト、10位ナベ。

そして、ビックリ、ガンダム戦士のような名前もある。(宮古島から)
「メガ」、「メガガマ」、「メガンサ」、「メツガマ」、「マニメガ」
すごく強そうな名前が揃っている。

本書には、他に沖縄の風習とか、お墓の話とか地元でも知らない面白い話が沢山ある。













内容(「BOOK」データベースより)
沖縄特有の現象がある。死亡広告欄に目を通す朝の日課、聖なる儀式としての結婚披露宴、お墓の新築祝い、先祖と子孫が食を通じて一体感を得る祭り、等々。そして、出生率、平均寿命(女性)、失業率、離婚率、などの全国トップの数字。今、様々な表情を見せる沖縄へ、移住者が増え続けているのは何故か。独自の歴史と他者を受け入れる文化土壌を築いてきた沖縄の魅力を綴る。


先週の土曜日に沖縄に帰ってました。
その時に、時間を見つけて、近所の古本屋に行ってきまして、3店舗で11冊をゲット。

1店目は那覇市安里の「宮里小書店」(宮里こしょてん)
近場で飲み会があって、30分位寄って2冊ゲット。
店主は沖縄の有名なエッセイスト宮里千里さん。
今読んでいる本『沖縄 時間がゆったり流れる島』は店主の書いた本。
残念ながら今回は店主にお会いすることができなかったが、
次回は是非お話ししたい。

http://umikaji.ti-da.net/e4892143.html 

http://ryuqspecial.ti-da.net/e1766090.html

2店目は宜野湾の「BOOKSじのん」
ここは毎回、帰った時に通う店。
とにかく沖縄本が多くて、1時間があっという間に過ぎてしまった。

https://www.jinon.ginowan.okinawa.jp/

3店目は同じ宜野湾の「榕樹書林」(がじゅまるしょりん)
今回初めて入った古本屋。
沖縄本がかなり多くて興奮していまい、時間の感覚が無く、あっという間に
2時間が過ぎていた。
店主も有名な方で、昼間お店で少しお話しして、家に帰ったら、
テレビで古本屋特集があり、榕樹書林店主がインタビューに答えていた。
あっ!あの人、昼間あったさ~。

http://bookjungle.ti-da.net/d2015-04.html#top

http://gajumarubook.jp/

今回は那覇の公設市場の「ウララ」さんに行けなかったのが残念ですが、
次回8月にはツアーする予定。

備忘のため、ゲット本11冊を紹介。

①沖縄 時間がゆったり流れる島(宮里千里)
②沖縄の大工(福地曠昭)
③西表島自然誌(安間繁樹)
④琉球列島(安間繁樹)
⑤戦後沖縄の通貨(牧野浩隆)
⑥ロビンソン漂流記(デフォー)
⑦沖縄の歴史(宮城栄昌)
⑧島立まぶい図書館からの眺め(まぶい組編)
⑨沖縄地名考(宮城真治)
⑩切ない沖縄の日々(高良倉吉)
⑪沖縄の秘境を探る(高良鉄也)

 

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本書は1945年終戦直後から始まった米国による沖縄統治から、
27年後の沖縄返還によるドルから円への通貨交換の直前。
日本政府は交換レートを切りあげた。
その狭間で翻弄され、辛くて苦しい沖縄の実態を書いた本である。

1960年代後半のアメリカは経済活動において、苦しい時期にあった。
ベトナム戦争における軍事費の増大である。
その対処として、当時の大統領ニクソンは、1971年8月15日に
金とドルとの交換停止、10%の輸入課徴金の導入、12月に固定相場制度から変動相場制度に移行し、
1ドル360円から305円になった。
いわゆる「ニクソンショック」である。

そして、このアメリカの政策によって一番影響を受けたのが、沖縄県民であった。
その当時沖縄では、貨幣はドル中心であった。
県民は貧しく、1ドル55円も下がるとパニックになることは必至であるはず。。。

しかし、冷静に通貨交換を受け止めた人達がいた。
それが、「おじい、おばあ」達だ。
何といっても、今まで、4度も通貨交換を経験しており、
「また、文替りか、今度はトゥ(中国)の世か、ヤマトゥ(日本)の世か」。

1回目は終戦後1946年3月。B型円軍票(アメリカ軍発行のお金)で、その後、
2回目は5か月後の1946年9月。日本円を唯一の法定通貨に。
3回目は1947年10月にB円の復活。
4回目は1958年9月にドルに交換。これが沖縄返還まで続くのである。
この通貨交換は占領軍の巧みな戦略があるみたいだが、ここはまた、別の機会に。

この通貨交換の裏には、ある重要な人物が動いていた。
琉球政府の宮里松正副主席と日本政府の山中貞則総務長官だ。
この二人がいなかったら、沖縄に大変な被害が出たかもしれない。

この二人が行ったのは、極秘の中でドル通貨の確認準備を行い、1971年10月9日に
ドル通貨の確認作業、そして1972年5月15日の沖縄返還以降に1ドルにつき55円の
補償を行うと国に約束させたのである。

本書で一番スリル満点で映画を観ているような、場面が次々と起こってくる。

では、どうやって、沖縄県民が持っているドルを確認して、その証拠を残すのか。
最初は証拠として、持ってきたドルにスタンプを押して、返還後で差額を補償の予定が、
米国が猛反発、自国の通貨にスタンプを押すと、その紙幣は紙くず同然に扱うと激高。
もう、ドル通貨交換が始まるまで数時間。
そこで、いいアイデアがでた。鉛筆の消しゴムをとって、〇い部分に朱肉をつけて、印替りに
するという。これっていいアイデアなんだろうか?と今では思うが、
当事者たちは必死だったんだろう。

他にもいろいろなハプニングがあるが、無事にドル通貨確認は終了。

次に大変なことは、日本から沖縄まで運ぶ日本円である。
当時の沖縄返還に伴い通貨交換に使う日本円は540億円。
コンテナ161個を輸送艦二隻で運ぶ。

そこで問題は誰が運ぶか?
民間の船会社、運送会社も絶好のチャンスと名乗りを上げたが、政府が選んだのは、
自衛隊による輸送だった。
それは、運ぶだけで、保険料が70億円、あれこれコストを入れると100億円になる。
自衛隊は政府のものだから、コストがかからなったのである。

この通貨交換の話を読んで感じることは、
沖縄もいろんな国の通貨を経験した。
中国、日本、アメリカ、そして、日本と通貨が変わってきて、
いろんな世(ユ)を観てきたが、大半の沖縄県民が貧乏なままであることは変わりない。
ただ、沖縄をいろんな通貨が通りすぎただけかもしれない。




本書は返還当時の通貨パニックを実況生中継みたいな臨場感で伝えるだけではなく、
当時の沖縄の住民の肉声も伝える、良書である。






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